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真紅 ◆Think.PWxE @薔薇おばはんφ ★:2007/08/15(水) 16:57:54 ID:???
?BRZ(11222) 一巻の巻物がある。冒頭には「満州国第九次哈達湾(はたわん)雄勝郷開拓団殉難精霊録」と記されている。
長さ4・8メートルにおよぶその巻物には、終戦直後の旧満州(中国東北地方)で起こった悲劇が記録されていた。
【写真】満州開拓団雄勝郷の悲劇について元団長が記録した巻物。殉難者名簿と開拓団の沿革概要が細やか
な文字で書かれている=湯沢市山田の最禅寺
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昭和20年8月19日、牡丹江省寧安県哈達湾地区。本県からかの地に送り出された雄勝郷開拓団で、250
人を超える入植者が満州国反乱軍の襲撃から逃れ切れず、集団自決などにより命を落とした。
帰還者は93人とある。そのほとんどは軍に召集され、当時不在だった男たち。殉難者の多くは女性や幼子、年配
の男性。「王道楽土」を夢見て渡った希望の地で非業の最期を遂げたのだった。
湯沢市山田の最禅寺。雄勝郷の物故者が祭られているこの古刹(こさつ)に安置された位牌(いはい)の中に、巻
物は収められている。
筆者は雄勝郡旧明治村(羽後町)出身の元開拓団団長、佐々木忠一さん(故人)。33年8月の十三回忌に
当たって書き記した、団員の手による数少ない記録の一つだ。
8月19日についてはこう記述している。
<―八月十九日午後四時頃、多少小康を得たるも手持ちの弾丸残り少なとなり、且つ疲労甚しくこのまま生き
て恥を宙外に曝さんより死して護国の鬼と化さんと、老幼婦女二百六十余名遥か東方を伏し拝み、互に相擁し
相労はり、あはれ痛ましくも手榴弾により従容悲愴の最後を遂げたのであります>(読点は補筆、旧字体は新字
体に)
【地図】
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畑山陣一郎さん(58)=羽後町西馬音内=の手元には、30年1月に県世話課が調査した「第九次哈達湾雄
勝郷団在籍名簿」が残されている。雄勝郷開拓団に参加し、戦後帰還した父・喜三郎さん(故人)が保管していた
ものだ。入植者全員の名前と帰還、未帰還、死亡の別が書かれている。
喜三郎さんは先遣隊の一員として14年に渡満。8月19日に母と妻、長女を亡くした。52年の三十三回忌には
発起人代表として、合同追悼会開催に尽力した。
しかし喜三郎さんは生前、畑山さんに開拓団について語ることは一度もなかった。「満州時代の知人が訪ねてきた
時に話していたのを聞いたことはあるが、自分には一言もしゃべらなかった」と畑山さんは振り返る。
毎年8月19日になると、最禅寺にお参りに来る雄勝郷関係者の姿がある。畑山さんもその一人。以前は帰還
者も何人かお参りに来て、昼食を取りながら、いろんな話を聞いた。「苦労話が多かったが、面白かったこともあった
と言っていた。ただ、集団自決の話はあまりしなかった。むごいので思い出したくなかったのだろう」
終戦から62年。関係者は高齢となり、最禅寺を訪れる人は年々少なくなっている。畑山さんを含め2人だけとい
う年もあったが、畑山さんは命日に通い続けるつもりだ。「幼少のころから母に連れられ、お盆にお寺に行った。おやじ
や母の遺志を継ぎ、自分ができる限りは続けたい」。畑山さんは、自分が生まれる前に起きた悲劇を風化させまい
としている。
ソース:秋田魁新報
ttp://www.sakigake.jp/p/special/07/syudanjiketsu/syudanjiketsu_01.jsp
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